ノスタルジーってなんだ?
2008年 11月 23日
古いものに接すると妙に懐かしかったり、厳粛な気分になったりする。
そういう気分に浸ること自体が癒しになる。
だから時々、そういう癒しを求めて彷徨っている。
此処は嘗て、中央線のターミナル駅だった場所。
煉瓦の側壁と大理石の装飾に古き建築物の温かみを感じる。
この界隈、奇跡的に戦火を免れた昭和初期の家が残っているという。
歩き回ってみたが、10年前の記憶ではもっとたくさんの古い商家があったと思ったのだが・・・・
そこで、ちょっとズルをしてみた。
あの都電に乗って過去へ旅してみよう。
行き先は昭和30年代だ。
この幼子が当時の私の姿だ。
着いたところに昭和の東京があった。
此処は昭和を題材にした「たてもの」のテーマパークなわけだけど、展示物や建物は昭和30年前後のものが多かった。
当然、私は生まれていないわけで、それらにノスタルジーを感じるのはおかしな現象なのだ。
例えば、銭湯の富士山の壁絵。
「ああ、これこれ。やはり銭湯には富士山だ。」
と懐かしんだが、ふと考えてみたら、内湯があった我家では銭湯に行くのは風呂桶の修繕や断水があった時くらいで、生涯銭湯回数は片手よりちょっと多いくらいに過ぎない。
しかも不特定多数の知らない人と一緒に風呂に入るのは半ば恐怖に感じていたから、
銭湯=イヤだ! の図式が成り立っていた。
決して懐かしむ対象にはなり得ない。
残念ながら私が感じているノスタルジーの多くは誰か他人の記憶を拝借しているに過ぎないのだ。
で、その他人とはおそらく両親なり、叔父であり叔母であるのだろう。
私がもし自前のノスタルジーに浸るのなら昭和40年代後半~昭和50年前半の出来事であり風景でなければならない。
しかし、それらはあまり愉快な記憶ではなく、現実味を帯びており、とても懐かしむ気分にはなれないのだ。
そういう気分に浸ること自体が癒しになる。
だから時々、そういう癒しを求めて彷徨っている。
此処は嘗て、中央線のターミナル駅だった場所。
煉瓦の側壁と大理石の装飾に古き建築物の温かみを感じる。
この界隈、奇跡的に戦火を免れた昭和初期の家が残っているという。
歩き回ってみたが、10年前の記憶ではもっとたくさんの古い商家があったと思ったのだが・・・・
そこで、ちょっとズルをしてみた。
あの都電に乗って過去へ旅してみよう。
行き先は昭和30年代だ。
この幼子が当時の私の姿だ。
着いたところに昭和の東京があった。
此処は昭和を題材にした「たてもの」のテーマパークなわけだけど、展示物や建物は昭和30年前後のものが多かった。
当然、私は生まれていないわけで、それらにノスタルジーを感じるのはおかしな現象なのだ。
例えば、銭湯の富士山の壁絵。
「ああ、これこれ。やはり銭湯には富士山だ。」
と懐かしんだが、ふと考えてみたら、内湯があった我家では銭湯に行くのは風呂桶の修繕や断水があった時くらいで、生涯銭湯回数は片手よりちょっと多いくらいに過ぎない。
しかも不特定多数の知らない人と一緒に風呂に入るのは半ば恐怖に感じていたから、
銭湯=イヤだ! の図式が成り立っていた。
決して懐かしむ対象にはなり得ない。
残念ながら私が感じているノスタルジーの多くは誰か他人の記憶を拝借しているに過ぎないのだ。
で、その他人とはおそらく両親なり、叔父であり叔母であるのだろう。
私がもし自前のノスタルジーに浸るのなら昭和40年代後半~昭和50年前半の出来事であり風景でなければならない。
しかし、それらはあまり愉快な記憶ではなく、現実味を帯びており、とても懐かしむ気分にはなれないのだ。
by chiba_tomin
| 2008-11-23 13:01
| お出かけ
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